四日市に東海道の面影を訪ねる
江戸時代の四日市は、東海道の43番目の宿場街として栄えた。四日市宿は東海道と伊勢神宮へ向かう伊勢参宮街道の分岐点であり、重要な役割を果たしてきた。
さらに、現在の名古屋市熱田区にあった宮宿と、伊勢湾を船で渡る十里の渡しがあり、桑名とともに港町としても賑わっていた。最盛期には、本陣のほか、ふたつの副本陣に、およそ100軒の旅籠を擁し、宿場内の家数は1,800軒以上ある東海道五十三次でも有数の規模だったという。
現在の四日市の街の中心部では、当時の面影はほとんど失われているが、少し街中を外れると、今でも昔の名残を見つけることができる。
三滝川にかかる三滝橋は、かつての東海道にあった橋で、歌川広重の「東海道五十三次」で四日市宿を描いた場所として知られている。
その三滝橋のたもとで今も商売を営む和菓子店が「なが餅 笹井屋」だ。 約450年前から続く名物は「なが餅」で、丁寧に米をつき、餡を包んだ餅は、腹もちがよくおいしいと、旅人達に喜ばれたという。