越谷宿
越谷駅前からまっすぐ旧国道(県道49号)に向い、その1本手前の道を左折すると旧日光街道だ。この辺を歩いていると、数こそ少なくなったが、当時の風情薫る古い建物に出会うことができる。

それらの古い建物は、旅人のために今も昔も「日光街道はここですよ」と教えてくれているようだ。代表的な建物としては、「塗師屋」があげられる。こちらは小泉市右衛氏の邸宅で、文化財の指定を受けてもよさそうな奥行きのある立派な旧家だ。小泉家は代々越谷の指導的な地位を務めてきており、「東講商人鑑」には「太物荒物店 塗師屋右衛門」とある。かつては呉服店を営んでいたが、今は店を閉じているそうだ。絹織物を呉服というのに対し、ここでいう太物(ふともの)とは、綿織物・麻織物を総称した物のこと。ちなみに、呉服屋のことを太物屋ということも。家人の話では、先祖は漆を扱っていたということで、今でも「ぬし市」という屋号で通用するとのだという。代々、当主は市衛門という名を継ぎ、現在でも電話帳には「小泉市右衛門」とある。
このような旧家が残っていることからわかるように、越谷は江戸時代から日光街道の第三の宿場町(日本橋~千住宿~草加宿~越谷宿)として重要なエリアだった。参勤交代や日光廟参詣などでたくさんの人が訪れ、賑わいをみせていたのだ。

また同時に、「元荒川」や「古利根川」等の川や多くの用水に囲まれた「水の郷」だったことでも有名である。そのため、かつてはその水利を活かし「大消費地・江戸」をターゲットとした工芸品の「だるま」や「ひな人形」、「桐たんす作り」が盛んな土地であった。また、元荒川や、葛西用水など、水資源に恵まれた環境を生かし、米・野菜などを中心とした農業も行われてきた。つまり、農業も工業も発展した、経済活動が活発な場所だったと推測される。
そのほか、江戸幕府や紀州藩の鷹場として成立した「宮内庁埼玉鴨場」などの施設も現存している。これは、明治41年に作られた約10ヘクタールの面積を持つ御猟場だ。ここでは、天皇・皇族の方をはじめ、外国からの来賓など、さまざまな重要人物が訪れて鴨の猟を楽しむ。都市化が進む越谷の中でも越谷市環境保全区域となっている宮内庁埼玉鴨場は、多くの樹木が生い茂り、自然の緑地帯がまだまだ残る、自然豊かな場所だ。
ではなぜ、越谷に埼玉鴨場があるのだろうか。それはもともと越谷が、江戸時代には幕府や紀州藩の鷹場があったほど野鳥がたくさん集まる場所だったことに由来する。かの徳川家康もこの地を訪れ、鷹狩りをしていたそうだ。それが明治になり、正式に宮内庁埼玉鴨場として施設が創立されたのだという。ただ、この施設内に一般の人は特別な企画以外自由に出入りできないので注意が必要。どうしても中に入ってみたいという人は、越谷市が行っている鴨場見学会に応募してみよう。こちらは市内在住者限定で、参加は抽選で決定される。参加費は無料なので、休日のレジャーとして挑戦してみると良いかもしれない。
越谷宿
所在地:埼玉県越谷市弥生町付近







































